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盤石

Issue 06

盤石

インドの展望 |著者

Issue 06


ビムべトカは、マディヤ・プラデーシュ州ラーイセーン県にある、ラタパニ自然保護区の区域内にあります。ユネスコの世界遺産であるビムべトカには、形のさまざまな岩場が数多く集まっていて、太古の人々にとって岩肌が格好のキャンバスとなったのです。岩窟群は丘陵地に...

ビムべトカは、マディヤ・プラデーシュ州ラーイセーン県にある、ラタパニ自然保護区の区域内にあります。ユネスコの世界遺産であるビムべトカには、形のさまざまな岩場が数多く集まっていて、太古の人々にとって岩肌が格好のキャンバスとなったのです。岩窟群は丘陵地にあるうえ、周囲からさらに100メートルほど高くなっているため、遠くからは岩窟群の区域全体があたかも小都市のように見えます。長い年月の浸食と風化が造り上げた自然の産物です。

太古の人々は、洞窟やくぼみを住居にしました。そして彼らは、壁面の平らな箇所を利用して、自らの創造性を発揮したのです。

ビムべトカの岩窟群には実にさまざまな洞窟があり、描かれた壁画は、人間の想像力を表わすだけでなく、人類の歩みをたどる貴重な手がかりとして、歴史家の間で注目されています。

インド考古学調査研究所(ASI)によれば、ビムべトカの岩窟群は、旧石器時代前期から中世にかけて、人類がそこに住んだことがわかっています。旧石器時代前期を10万年前~4万年前とすると、人類は、とてつもない長い期間そこに住んだことになります。

壁画には、人間や動物の姿、樹木や幾何学模様が描かれています。題材は狩猟や戦いからダンスなどの文化的なものまで多岐にわたります。狙った獲物に息をひそめて接近する様子を描いた絵。壁画に登場する人物や動物たちが、それぞれの場面を生きいきと表現しています。幾何学模様のなかには、ダ・ヴィンチ・コードに出てきた記号に似たものもあります。車輪の形、円形をアレンジしたものや半円、破線、手形や指紋などさまざまで、これらは人類の進化を研究してきた歴史家にとって、重要な手がかりです。

絵柄の多くは色で塗られていますが、外形線だけを描いたものもあります。この場合、パターンを繰り返す手法で描かれています。また、色は単色で、たいていは赤か白。ところどころ青や黄色を加えています。色は鉱物や動物の脂肪を水で溶いて調合したもので、小枝で作った細い筆を使って模様や線を描いています。描く場所はほとんどが平らな岩肌ですが、中には隅の方や、かなり高い場所もあり、そのことから、人が岩に上って描いたあと、その岩が消滅したことがうかがえます。岩窟群一帯は周囲を深い森で囲まれていて、どうやって発見できたのかが不思議に思えます。

インド考古学調査研究所(ASI)の記録では、ビムべトカの岩窟群を最初にとりあげたのは1888年、W・キンカイド氏が発表した論文で、ボジプール湖の対岸にある仏教巡礼地として、「ビムベットの丘」について触れています。その後、実際の調査が行われたのは、ビシュヌ・ワカンカール博士がこの地にやってきた時でした。博士は、チャマル・バレーの壁画の調査を行った学者で、ヨーロッパに滞在していた頃にこの地を列車で旅行した際、景観がよく似ていることに気づいた博士は、旅行を中断して、この岩窟群の発見に成功したのでした。その後はご承知のとおり。1年後に博士は学生たちを連れて戻ってきました。調査の結果は詳細にまとめられましたが、1970年代に本格的な調査が始まった時になって、ようやく注目されました。一帯で発見された道具類からは、古さとその年代が伝わってきます。

壁画は人類の進化を絵で表しています。狩人たちが、森を歩き、木によじ登る姿が、時代が新しいものでは二輪の馬車に乗っていて、描かれた時代が異なることがわかります。ビムべトカの壁画は1区域だけではありません。ビムべトカの丘は5つある遺跡のうちの1つに過ぎず、全体では1,892ヘクタールの広大な地に、合計で約700もの岩陰遺跡が残っているのです。そのうち壁画があるのは400にものぼります。岩窟群はビムべトカのすぐ近くから始まって、ボーパール近郊のシャマラ・ヒルズまで、丘や森、野原を横切りながら、ずっと続いています。多くは文献にはなっていても場所がアクセスしにくいため、訪れる観光客はほとんどいません。行ってみる勇気のある人だけが、太古の祖先が遺した秘宝に出会えるのです。

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