モーターバイクの上からの物語
我が国の広大な国土の隅々にまで横たわる本当に目に痛いほどの明るい色彩は長い期間それらの場所で守られてきた光景です。ピヤ バハデュールは彼女のバイクでの旅をサドルに座って動くだけの単なる移動手段から勇気のいる冒険的な革新を遂げる体験に作り替え、バイクでの移動がどの国に行くにしてもその国の深部にまで到達する踏査と、その結果として結びつく自己踏査を可能にする最上の手段としてどれ程の効力を発揮できるのかを地図の上で表現しています。
こんにち私達がこれはときめるということは私達がこの世界から手に入れるものである全身性波動上昇に導かれての決意なのです。私達が自分たち自身の意識とその意識をもって到達した決断に達する努力を覚えていることはまずありません。これは私が単身でアジアのとても景色の美しい場所を数か所バイクで走り回った時に特に強く感じたことですが、その時にこの旅は正解だったと自分自身を相手に感じた満足感のようなものはそれからもずっと私の中に止まっていて、この旅を選んで、出かけようと決心したその時の自分の決断が私をご機嫌にしてくれて、決断したという行為から一歩進んで私自身を気分いい存在と思わせてくれているのです。
このように、4人組のバイクの遠出でヒデラバドからヴェトナムまで走って帰ってくるというその4人の一人になるという機会が来た時には、これはほんとかなと思ったほどに嬉しく思いました。空港に降り立って隣国に住む人々を尋ねて、ガイド付きのツアーというのも勿論わるくないでしょうけれども、複数の都市と田園風景一杯の田舎の土地をバイクで通り抜けるのはもっとずっとやり甲斐のある旅のように思えました。新設のインド-ミャンマー-タイを結ぶ17,000kmに広がり6ケ国を股に掛ける三国間ハイウエイを400ccのバイクにまたがって眼下の道路を縦横にズタズタにする勢いで走りまわることは人間にあたえられた人生での冒険のようでした。
まずの第一歩
それまで、私が自分に許した広い幹線道路のドライブは長くて数日しかかからない程度の旅でした。母親、従業者、そして妻としての長い年月は私の危険に挑む魂の出す声をバイクのマフラー音もどきに消してしまっていました。私の引っ込み思案と冒険心抑制の生活は延々と続いていましたが、ある日長女のアディティにどうしてお母さんは旅行にも行かないの?と聞かれたのです。“ほれ、胸張って出ていくかそれとも家に閉じこもりたいの?”彼女は私をじっと見つめていてその目はそんな風に言いたそうでした。彼女はいたずらっぽくまつ毛を動かせて見せていました。その瞬間に私は一番むつかしいことへの先ずのとっかかりはただ諺どおり’飛‘ばなくてはいけないという思いに押されたのでした。
娘の言葉の意味の重みの全てが数週間のちに私に戻ってきました。その時、充分走ったあとに私達はミャンマー西部のアラカン山脈に横たわる原始の暗い森の一本の樹木の下にバイクを止めていました。家に居ればこのころには食卓に夕食を並べていたでしょう。でもここ、この美しい国で、私はこの遠出に加わることに決めた日のことを思い出していました。私がもうこれからは何にも束縛を受けないと決心したとき、同時に考えたことは–社会規範や頭に浮かぶ義務感や責任感や、年齢が高すぎるしうまくやれないかもしれないということや、試走期間をうまくこなせる状態か、それに一番つらかったのは利己的に見えやしないかという怖れでした。

しかし旅は始まりました
私達のバイク旅行はその事自体が大いなる経験でした- 生れてはじめて私はこの旅の行き先に全く構わないでいられました。一キロ走るごとのその距離を走る満喫感を味わい、全部走って17,000キロ近くに達する行程を歓喜していました。私達がヒデラバドから2,800キロの地点に来た時、この地点がこの旅を始めた地点だったのですが、そしてインド国境のモレ-、ここがミャンマーへの入口だったわけですが、私達は“インドー!、インディア!”と叫んでいる声を聞きました。少年少女の一群が私達に手を振っていて激励してくれていたのです。私達も手を振り返しました。それからあと、私達が国境を越えてミャンマーに入ってラオス、カンボジアそしてヴェトナムに入ろうと走っているときにも、私達はこの叫びを何回か聞きました。この歓迎の叫びはいつも笑顔と親指を立てるサインと、それに私達の着ていたバイク乗り用のジャケットにピンでとめた三色の旗印を指さして激励してくれる人達も多くいました。

イラワッディ川とメコン川を渡りながら私達はそのあたりに私達がそれらの国々と共有していると見間違えようのない遺跡の痕跡を見ました。私達はヴェトナムの奥地にチャンパ王朝のマイサン記念建造物にその事実を感じ取りました。私達はこのような遺跡を古代仏教徒の住んだバガン遺跡でも見ました。自宅からはるかに離れたこのような南西アジアの中心部に建つ古代ヒンドゥー寺院で、私は我々の祖先の発揮した勇敢さに圧倒されるほかなく、改めて私達は勇壮な冒険者たちの誇り高い血筋を引いているのだと実感しました。
より良い明日のために
ヴェトナム新聞が私達の旅についての取材を出版したあと、この地のバイククラブのメンバーたちが町はずれまで会いに来てくれて私達をホチミン シティまで先導してくれました – 私達は双方とも一言も言葉が通じませんでしたが、お互いに友情を分かち合えたことは紛れもない事実でした。私は見慣れた気がするけれども確かに外国の地でお互いに友人同士としてバイクで走ったのです。
境目に橋をかけて人々とそれぞれの慣習の間に横たわる距離を縮めることを目的とする多国間の取り組みは、常にそれについて聞くことも読むことも素晴らしいことです。しかし私がバイクの下の湿った道路を感じながら前方にある水平線を走査することに目を据えてこのような連携の通路を建てることに取り組んでいると、私は細かい点を見落とさない努力をして、初めての人々に会い、お互いに話し合う、このような旅こそがより良い明日のために文化を分かち合えることなのだと悟るに至り、相互の理解と同情心に満たされました。

見どころ
ヒマラヤ逗留
移りゆく風景-チャンバとキンナウルの緑の渓谷を起点としてラホールのスピティの極寒の砂漠を経てレーに向かうことになります。
ダンカール、タボ(スピティ)、スピテュク、そしてサンカール(レー)の僧院
ピン ヴァレーとヘミスに代表される高地国立公園
北東のすばらしさ
タワングへの チェラプンジ周辺の滑りやすい、雨に洗われた道路を通るこの旅はどんなバイクライダーにとっても大した経験になります。
見逃せない場所はチェラプンジ-マウシンラム保護森林のような深い森におおわれた森林保護地域です。
南の孤独
曲がりくねった道路がオオティの生き生きした緑の光景と絵のようなタミル ナデュのコダイカナルの滝へと登っていて、この南部での滞在は週末の短期休暇にうってつけです。
オオティは西ガッツ山脈にあるリゾートタウンです。
マイソール宮殿のような年を経た記念建造物と聖フィロメナ教会
タンタリシング タール
ラジャスタンという壮大な景観を持つ土地を探索するのにはモーターバイクでドシンドシンと音をたて続けながら乗り切るほかにありません。この州の野趣に溢れた魅力はもし貴方がこの州を苦労しないで横断するつもりがないならそこを旅することはお忘れになるべき場所です。極端に上昇する夏季の気温のためにこの旅は冬季の11月から2月の間に行うのがベストです。

1,360キロにわたるインド-ミャンマ-タイランドの三国間を結ぶハイウエイはインド、ミャンマー、タイランドに係わる進取の精神の発現なのです。このハイウエイはマニプールのモレーからタイランドのメーソートまでミャンマー経由で横切る道路です。また、この道路はこの地域で最も走り甲斐のある道路として出現したものです。完全な形の循環道路でIMTハイウエイに沿ってラオスとカンボジアを通ってヴェトナムまでを繋いでいます。
三国を繋げる形を形作るルート:
モレー(インド) > タム(ミャンマー) > カレミョウ> ネピドー> ヤンゴン(ミャンマー) > メーソート(タイランド)(約1,360km)